福井県大野市に建つ一間一戸の楼門です。
入母屋造、桟瓦葺きの屋根の痛みが目立つようになり、初層部分の柱や虹梁の不朽もあり、維持保全を目的とした修繕工事です。
「楼」は重層にして背を高くした建物のことで、平面が単純で小さく正方形に近い2階建ての建築物のことです。
鐘楼門は、遠くまで時を知らせるために鐘を高い位置に吊り、寺院の門を兼ねた建物のことで、柱を2層に積み上げた「おかぐら造り」になっています。そのため不安定な建築になりやすく、この鐘楼門も四隅に補強柱を入れて豪雪に備えています。
昭和初期の境内の写真を見ると、以前は茅葺きだったことが判り、その時にはすでに四隅の補強柱を確認することができるので早くから不安定な建物との認識があったのだと思われます。修繕計画の当初はこの控え柱を外すことも考えていましたが、屋根雪降ろしの時や少し強めの風でフラフラと揺れるため、補強の柱を取り外すことは断念して、雪囲いを兼ねる補強の枠組みに入れ替えることにしました。

宝暦六年建造 - 一間一戸 入母屋造り 桟瓦葺き

修繕前。四隅に丸太の控柱が立ち軒の出を支えています。

昭和初期、茅葺きから桟瓦に葺き替えとのこと。

解体中に棟札などの建築年が判る資料は出てこなかったが、梵鐘をはずし吊り金物を外したところ、吊り金物に「宝暦六年 丙子 四月」と彫られていました。
この吊り金物が建築時のものだとすれば、1756年が築造年になります。

上層部をジャッキアップし、腐朽の激しい柱と虹梁を取り替え

傷みの激しい棰を交換し、屋根瓦を葺き替え

破風と懸魚

豪雪、大風に備えて格子組の補強材を採用

格子に組まれた柱と梁の詳細

完成後の外観。補強の柱と貫を格子に組み、冬季の雪囲いの枠にしています。