建物はどのくらいもつのかということをよく聞かれます。
機械のように、ある日突然に動かなくなるということはないので、どこか古くなったり、腐朽・虫害が見つかるか、または自然災害で損壊するなどして、建物の限界を判断することになるのかと思います。
税制上の法定耐用年数は鉄筋コンクリートが一番長く50年ほど、次に鉄骨造、木造になると22年ほどですから、建物の金額的な価値は20年から50年で無くなるということでしょうか。
一方、我が国の木造の専門家の多くは、法隆寺や唐招提寺が1000年以上を経た今日でもその優雅な姿を残していることから、日本の伝統的な木造建築こそが、コンクリートや鉄を主体とする構造物より長寿命だと言います。
本当のところはどうなのでしょう。

唐招提寺

コンクリート、鉄、木を雨ざらしにしておくと、木は数年で腐って土に帰っていることでしょう。鉄も錆びてボロボロになりますし、やがてはコンクリートも風化をしますから、何も手を加えずに永久に存続する建築材料は存在しません。
現在の多くの建築物は30年から50年で壊され、建替えられています。当時を代表する建築(例えば前の国立競技場)でも、歴史的な価値など関係なく壊され、新しい建築に建替えられている現状があります。
鴨長明の「方丈記」にある、行く河の流れは…の一節で、人とその住みかを「うたかた…泡沫」に例えていますから、昔から日本では建替えと住替えが、今と同様に頻繁に行われていたということがわかります。
また、伊勢神宮の「式年遷宮」は20年に一度、内宮と外宮の建物群が建替えられる儀式ですが、神々の建物はより頻繁に建替えられてきたということになります。

伊勢神宮

しかし、伊勢神宮が現在の建築物の建替えと根本から違うところは、「スクラップアンドビルド」ではなく、解体された建物や部材は他所で再利用される点にあります。式年遷宮で解体された桧の棟持柱は鳥居の用材になり、その他の部材も全国の末社で再利用されますから、廃棄処分される訳ではありません。
つい最近まで一般の民家でも、丸ごと買われて移築されたり、部材の一部が他の建物の用材として再利用され、それが当然のように見られました。
 以前は、米の生産を主体とした農業が社会の基盤になっていましたから、竃の灰や屎尿、葺き替えられた茅の廃材は肥料として田畑に戻す徹底した循環社会にでした。当然、木造建築も修復して使い続けるか、解体しても用材として再利用することが当たり前だったようです。
 
建物がどれくらいもつのか。
 
それは人が決めていて、素材や構造の劣化で決まっているわけではないようです。木材は風雨にさらされなければ、その姿をいつまでも保っていることは、我が国の木製の文化財が証明してくれています。
建築の構造とは関係なく、経済的効果やイメージ、または、心の奥底の”建て替えたい欲求”から、人が決めているのが現実です。

里山の杉

スクラップアンドビルドの現代でも、法隆寺のような文化財は、直して残すことが命題になっていますから、数十年ごとの修繕と200年から300年毎の解体修理という建て直しを行ない、これからも保存していくことになるでしょう。コンクリートや鉄骨の商業建築などでは、絶えず華やかで新しく、斬新であることが誰にもわかりやすい価値なので、30年から50年でスクラップアンドビルドを繰り返していくでしょう。
 
しかし、住宅のような人の基本にかかわる建物の平均耐用年数が30年前後という現実は、経済的にも環境的にも問題が大きいと考えます。
 
 30年前後の建替えを前提とした住宅では、世代ごとに大きな経済的負担を続けることになり、住宅を資産として受け継ぐメリットを得ることができていません。
また、一般的な木造住宅の場合、使われている木材は、樹齢50年前後の柱から100年を超える大径木の梁桁です。その住宅が30年前後で壊されてしまいますと、多くが廃棄処分にされますから、はるか昔から植林を続けてきた貴重な森林資源をムダにすることになります。
 
日本だけではなく、本来、建築は世代間で受け継がれていくもので、わが国の木構造には修繕し、時代の変化に合わせて改造し、維持し続けていくことが可能な技術の蓄積があります。
新しい建材と構法で造られる現在の建築は、明るく新鮮なイメージを感じますが、それは、時間が経つと次第に失われていくものではないでしょうか。土壁と無垢の木の建築が時間の経過ともに味わいのある、心の落ちつきを与えてくれる点とは相反するものです。

古民家リノベーション

私たちの先人が築き上げてきた木造技術の知恵を生かして、次の50年に向けて、修理、保存、活用していくことができる日本の伝統的な建築は、経済的、社会的にまた環境的にも優れていると考えています。

2023.05.15