鐘楼門修繕工事-解体工事

 
 

 

鐘楼門の屋根の葺き替えと腐朽部分の取り換えのため、解体工事を進めている。
昭和30年代に茅葺きから桟瓦に変更しているために、小屋組が大きく変えられていることは解っているが、入り組んだ小屋組でスペースがないため、事前調査の段階で小屋内部に入ることができなかったので、この屋根解体で初めて内部の詳細を知ることができる。
 
 

 

茅葺きの時には扠首組だろうから、母屋は昭和の改修時のものが現れると思っていたが、それ以前の母屋に新しい母屋を添え足して破風の位置を調整している。

取り外した懸魚の裏部分に大入れ跡があり、茅葺き時の懸魚の取り付き方法がよくわからなかったが、古い母屋の先端に仕口があるので、この母屋は差し桁で、この上に扠首組があったのだろうと思われる。
 
 

 

柱間で10尺に8尺という小さな屋根に桔木をかけているので、棟木の下部では丸太の末口が集中して複雑に入り組んでいる。
さらに茅葺き時の桔木も残っているため、構造上必要な材料がよく見ないとわからない。
また、水平部材が少なく、斜めにかけられた桔木の末端をボルトでつなぎ滑り止めにしている。
今回の修繕工事では、桔木を組み直し、前方に滑り落ちることを防ぎ、剛性を上げることを目的にしている。
 
 

 

取り外した母屋の一部に、以前の茅負と推測される部材が出てきた。
取り替え予定の化粧垂木と組み合わせることができるので、茅葺き時の茅負で間違いない。
 
 

 
 
小屋組を解体して建物重量を軽くしたのち、全体をジャッキアップして腐朽の激しかった虹梁と柱を取り外した。

虹梁の仕口は崩れて、外れる寸前だったので、取り替えの判断はすぐにできたが、柱の腐朽については、調査によって推測したものだった。
 
 

 
 
上部の大梁を受けるために、長くて巾広のホゾにされていたが、そのホゾの中心部分がボロボロになっていて、柱上部の大梁を受ける面も腐朽し「うろ」のようになっている。
虹梁上の組子の欄間も痛みが激しいので、桟を補強し再度組み入れる予定。
 
 

 

今回の解体で、棟札などの建築年が判る資料は出てこなかったが、梵鐘をはずし吊り金物も取り外したら、「宝暦六年 丙子 四月」と彫られていた。
この吊り金物が建築時のものだとすれば、1756年ということになる。
 
 
2017.05.13

 

 

 鐘楼門修繕工事-腐朽等調査

 

 
この工事の主な目的は屋根瓦の葺き替えになる。
また、状態を健全に維持することを目的にしているので、これまでの工事の経緯や建物の細部の調査を行っていて、築年数が不明ではあるが、25年ほど前に床板と勾欄を取り替えていること、60年ほど前に屋根を茅から桟瓦へと葺き替えられていることなど、徐々にわかってきている。
 
外見からは、化粧軒の部材、特に飛檐垂木と茅負・木負の長年の雨雪による痛みは激しく、また、虫が空けた無数の小さな穴も確認できる。
 
 

 
 
また、冬季にはどうしても雪が吹き込むため、溶けた水が隙間に入り込み、床から下の部材全体に水しみが見られ、構造部材の仕口が傷んでいると予想される。
 
実際、柱と虹梁の仕口が外れているところがあり、虹梁下の持ち送りの指肘木が外れていたりと、部材の損失も数箇所見られる。
 
見えるところ以外にも、柱・梁の内部で腐朽が進み、空洞化などが起こっていないか心配になる。
 
 

 
 

 
 
このように、上層の軒先から下層の構造部材にまで、傷みが見られるため、可能なら全解体して、虫害・腐朽箇所を補強したり、取り換えなどをして、組み立て直すことが理想なのだろうが、諸々の条件もあり、非破壊検査で痛みの程度を大まかにでも確認し、それを元に、工事の計画、特に解体方法を限定することが出来ないかを考えている。
 
 
 そこで、文化財建造物で部材の劣化について調査研究を専門とされている京都大学農学研究科の藤井義久教授に、突然・一方的・半ば強引に相談し、現場での調査をお願いした。
 
 
 

 

 
 
目視での調査、また、含水率や超音波測定により部材内部での損傷の程度を推測していただいた。
 
建物全体が吹き放ちで、風通しがいいので、条件は有利ではあるが、雨・雪で水がかかりやすいために、仕口が入り組む箇所では含水率が高い状態にある。
超音波測定で柱脚部の空洞化を調べて頂いたが、こちらは問題がなさそうではあるが、念のため、穿孔試験による内部調査を後日行うことにしている。
 
 
 2017.03.13

 

 鐘楼門修繕工事-現調

 

 
福井県大野市に建つ鐘楼門の屋根の痛みが目立つようになり、修繕工事に向けての現状調査を行っている。
 
「楼」は重層にして背を高くした建物のことで、主に2階建て、平面が単純で小さく、正方形に近い建築物を呼ぶことが多いと思う。
それに対して、金閣、飛雲閣、天守閣のような「閣」は同じ重層建築でも、平面が少し入りくみ、横長になり、屋根の形状も重厚な建築を区別して呼ぶようだ。
どちらも、物見のためか、遠くまで鐘・鼓を知らせるために重層にしたもので、平屋が主流の日本建築において特殊な建築と言える。
 
鐘楼門は、遠くまで時を知らせるために鐘を高い位置に吊り、寺院の門を兼ねた建物のことで、柱を2層に積み上げた「おかぐら造り」が多い。
そのため、不安定な建築になりやすく、この鐘楼門の四隅の補強柱は、豪雪を考慮して、いつかしら入れられたものらしい。
 
 
次の写真は、昭和初期のもので、屋根が茅葺になっている。
 

 

 
 昭和30年代に瓦屋根に替えられていて、小屋組も取り替えられているが、その時に屋根の重量増に対して、補強柱が入れられたと予想していたが、それ以前から対策がされていたことがわかる。
この地域の雪質は湿っていて重く、積雪2mを超えることも昔は多かったので、もしかしたら当初の段階から補強がされていても不思議ではない。
 
 
 

 
 化粧軒は角繁垂木の2軒で、二手先の組物と細やかな彫刻がされた蟇股と拳鼻で華やかさがある。
これから、痛み具合、歪みなどを調べて、修繕の範囲と方法を検討していく。
 
 
 2017.02.22