稲わらについて

 

稲刈り後の田んぼ


 
福井市周辺の田んぼでは稲刈りが毎日行なわれていて、ほぼ終了したようだ。
 
米の消費量が減って、減反が進み、米の価格も下がる一方なので、米農家は兼業として片手間になっている人が多く、かつ、高齢の方がほとんどになっている。作業の形態も機械化され、また農家組合を作り短期間集中しての米造りになっている。
 
かつては、米が社会の根幹で、地域の生産力も米の石高で表されるほどだった。日本中の各地域が稲作を中心とした社会であった。
 
田んぼから採れるのは米だけではない。藁も重要な生産品で、稲藁からさまざまなものを作ってきた。
縄はもっとも重要で、自分で縄を綯い、さまざまなことに使われる必要不可欠なものだった。
マントとしての蓑、草履(ぞうり)と草鞋(わらじ)、米俵など入れ物・・衣食住の必需品にカタチを変えて使われてきた。
 
家をつくるにも木と木、木と竹を縄で縛り組上げていった。筵(むしろ)は敷物にしたり、入口にかけて戸の代わりに使われていた。畳は高級なものとして一番いい部屋に使われていたが、その畳床は藁を圧縮して作られる。
また、土に藁を混ぜて発酵させると粘り気が出てくる。その土にさらに藁を加えることで強い壁土になる。丁寧に作られた土壁は、筋交いを入れたほどの強さになることは、実験でも証明されている。
今でも、重要な伝統建築の修理や本格的な木造建築の新築で土壁が使われるのは、美しさと強さを兼ね備えた素材感がほかに変えられないからである。
 
しかし、残念なことに生活の基盤を支えてきた藁の文化が無くなってきている。
蓑や草履が日常の生活から無くなったのは、それに代わる優れたもの・・コートや靴がそれに入れ替わったからだ。
しかし、畳床(畳の芯の部分)がスタイロホームになり、壁がボードに取って代わることとは違うように思う。本物が無くなり文化が無くなることを意味する。
今作られている木造建築は海外からの木材と工場で生産された建材によって、造る側が造りやすいように造られている。気付くと足下が何にも根付いていない、フワフワと浮ついたところで造られている。
それは、木造建築が直して長く使う道具から使い捨ての道具になってしまったことを意味する。
 
今一度、日本建築が築き上げてきた本質を問い直さなければならない。
 

粘土、砂に藁を練り混ぜて壁土にする

 
 
 
 2015.09.21

 

 扁額完成

 

 
移設を計画した納骨堂の扁額が完成した。
欅の板に浮かし彫りをして、漆塗りの仕上げに金箔を施している。
 
書は福井市の亀谷石嶺氏、仕上げは河和田の小橋敬一氏にお願いした。
 
私の浅い仏教の知識で申し訳ないが、額に書かれている文字「倶会一処(くえいっしょ)」とは、阿弥陀経の中にある・・諸上善人 倶会一処・・ともに一つのところで会う  から引用されている。
阿弥陀仏の極楽浄土に往生した人たちは、またそこで出会える という意味で、この世の煩悩やさまざまな感情から解放された世界で皆で会いましょうという意味であるらしい。
 
納骨堂に期待される「永い」という言葉は、建築物にとってはとても重い意味を持つ。永く存在するためには、人の手による維持管理と修繕がかならず伴ってくる。その目標のためにどのように造るかを考えると共に、保守し続けるための価値が必要となる。
価値とは値打ちの意味だけではなく、意義も含まれる。存続し、維持していく意義が納骨堂には求められ、その意味も「倶会一処」は含んでいる。
 
 
 
 2015.08.23